【経験談】中1男子不登校のはじまり①

不登校

1番上のお兄ちゃん、中学1年生の夏休み明けから登校しぶりが始まり、冬休み明けから完全不登校になりました。

なぜ不登校になったのか、いじめなどの大きな原因があったわけではありません。

成績も真ん中で悪くない、部活も楽しく活動していて試合にも出場していて頑張っていた。休みの日にはお友達の家で集まってみんなでゲーム。楽しく通えていた学校、それなのに今息子は学校に行けなくなってしまったのが現実です。

息子が中学校に入学してから不登校になっていく様子をまとめました。

どんな性格

・優しく穏やか、甘えん坊な性格

・学校では真面目でおとなしい

・家ではおちゃらけてみんなを笑わすムードメーカー、ゲーム大好き

・身体を動かすのも好き、小学校の頃は卓球や水泳、陸上教室に参加

・プライドが高く負けず嫌いなところも

どんな学校

・小学校からの持ち上がりの公立中学校

・1クラス30人ずつ2クラスの学年

・持ち上がりのため友人関係に大きな変化なし

・小学校は問題なく6年間通えていた

入学当初

入学してからは毎日登校出来ていた

・新しいクラスにはすぐに慣れた様子。学校での話も良くしてくれていた

・初めての授業参観は担任の授業。少し緊張した様子だった

・夏休み前の個人面談では担任より

「入学当初はだいぶ緊張していて大丈夫か心配だった」

「悪い意味ではないですが、中1ギャップの第一子だなと思います」

個人面談で初めて担任と話しましたが、淡々と話す担任に少し面食らいました。

息子より「先生笑っているのを見たことがない」と聞いていましたが、本当にニコリともせず、目が笑っていない。

先生から見てまだ小学生気分の生徒が多いクラスのようで、生徒への不満があり落ち着きのないクラスだと話されました。

息子の様子や担任、クラスの雰囲気など少し心配になりましたが、他の保護者の方も同じような印象を持たれたようで、しばらくは様子をみることにしました。

夏休み

・部活動は積極的に参加し楽しんでいる。大会にも自ら参加していた

・宿題など提出物は出している。テスト勉強も頑張っており成績は真ん中

・夏休み中も部活動に毎日参加、大会も出場していた

・友人関係にトラブルはなく、友達の家にも遊びに行ってた

・家族と出かけたり、従兄弟たちが泊まりに来たりと楽しく過ごす

夏休み明け

少しずつ行き渋るようになる

・夏休み明けはすんなりと行ってはいたが、この頃から自室に居る時間が増える

・10月頃から少しずつ頭が痛い、お腹が痛いと訴え始める

・月に2、3日休むようになるが、1日休んだ翌日には元気に登校していた

・11月の個人懇談では担任より

「特に問題なく過ごせている。入学当初より学校生活に慣れてたよう」

「授業中などはおとなしいが、休み時間や部活動では表情良く過ごしている」

「たまに欠席するのは本人が週5日登校するのは疲れてしまい、彼のペースには合わないのかもしれな

 い。1日休息して元気になるようであれば休息日を取るのも良いのではないか」

・担任から勧められて初めてスクールカウンセラー(SC)と両親で面談

「頑張り屋で真面目な性格でしょう。優しいのであれもこれも頑張りすぎているのではないか。クラスの雰囲気などは、彼自身の問題ではないので課題の分離をしてあげると良い」

「話をよく聞いてあげて、気持ちの整理をしてあげると良いかもしれない」とアドバイスを頂く

この頃から、夫婦間で「学校に行かせるべきか、休ませるか」で意見が食い違う。

行かせないでどうするんだ?という父親の意見と、無理強いして行かせても意味がないという母親の意見で分かれ、時としてそのぶつかり合いのイライラを本人にもぶつけてしまうようになる。

・小学校から通っていた塾にも行き渋るようになる

行き渋るようになってしまった頃、本人に話を聞くと

「担任の先生は嫌い。けど他に好きな先生もいるし、部活は楽しいからまだ学校行けると思う。」

それでも学校を休む日がだんだんと増えていき、それに伴って親子で言い合う事も多くなってきました。

そして短いですが冬休みに入りました。

・冬休み中は部活の活動期間も少ない中「部活行きたくない」と度々休む

・家庭内では家族と出かけたり、たくさん笑顔が見られた

家庭内では学校が休みという事もあり、楽しく過ごせていた様子。宿題もこなしており、気持ちがリセットされて行き渋っていた息子がウソのようでした。このまま新学期は元気に行けるのではと少し期待をしていました。

ですが、まさか冬休み明けから息子が不登校になるとは思っても見ませんでした。

冬休み明け

急な落ち込み、完全不登校に

・冬休み明け初日から「行きたくない」と登校を渋る。

・冬休み中の様子から行けるかな?と期待をしていた自分が「なぜ行かないのか?」と感情的に声をあらげてしまう。泣いている息子に怒鳴りつけても悪化させるだけとわかっているのに制御が効かない。自分の中に初めてに近いとても重苦しい感情が沸いたことに驚かされました。

その日から連日、私の送迎で登校をするようになるが、朝は必ず遅れて行くようになる。

中学校玄関前に着くも車からはなかなか出られずに車中で大泣きする日々。担任に引っ張られて連れて行かれるようになる。この時の担任の対応に少し違和感を感じるようになる。

担任が車中で泣いている息子へ「あなたの大事なお母さんを困らせてどうするの、あなたが学校に行かないとお母さんが悲しむわよ」と声をかけるのですが、私が困るから学校に行くのでも、親が悲しまないように学校に行くのでもない、なぜ息子を軸に考えた声掛けを担任はしてくれないのか、今一番つらいのは息子であり、悲しんでいるのも息子なのになぜ追い詰めるような声掛けをするのか、とても疑問でした。その場で「私自身は大丈夫です。辛いのは息子ですので」と伝えた事もあるのですが、全く響かないようで毎日同じく声掛けをしてきます。

担任は

「教室行けば落ち着いて休み時間も遊んでいますのでとにかく連れてきてください」

と話すので信じて毎日連れていくも行き渋りは強くなり、部活動ももう行きたくないと話すようになっていきました。

どうしても担任の対応に納得がいかず、この頃から養護教諭の先生へ相談を始めるようになります。養護教諭の先生はいつも車で玄関前まで着くと、無理に降ろそうとはせずに私と息子が話している様子を外で見守っていてくださっていました。ですが、担任はその横をすり抜け、勝手に車を開けて無理に降ろしていたのです。

養護教諭の先生には担任の声掛けをやめてもらいたい事、家庭での様子、何でも話しました。私の気持ちにも寄り添っていただき、辛ければ私だけでも話に来てくださいと声をかけてくださっていました。唯一頼れる存在を見つけたようで、暗闇の中で一筋の光でした。

・養護教諭の先生と相談し2月より中学校内にある別室教室への登校を試すことに

・別室登校初日は1日登校出来て本人も安心だった。と良かったものの2日目は「給食が食べれない・・」と午前中だけの登校になる

・別室3日目、まさかの家族全員が流行の感染症になり1週間出席停止となる

療養開けての登校は定期テストのみ別室教室で受けるも、あとの日々は朝起きることも

困難となり、学校は休みがちとなる。そのため2月の出席は5日程度となる。

この頃、夫婦の考え方はますます食い違っていき、押さえつけてでも学校へ連れていくべきと考える父親と息子と言い合いになり「もう自分なんてどうでもいい」

「死んだ方が良いんだ」と否定的な発言が見られる。

養護教諭からの助言もあり3月中旬児童精神科医へ受診。

診断は保留だが、内服を開始。落ち着くまでは学校から離れて休みましょう。との事で春休みを前に学校は欠席することに。

まとめ

中学校に入学してから不登校になっていった1年生の様子をまとめました。

まさか自分の子がこんなに落ち込み、不登校になってしまう日が来るとは夢にも思いませんでした。2年生に進級した今も教室には入れず、お友達と顔を合わせる事もできません。

今振り返ると、不登校になっていく前には「行きたくない」と直接の訴えのほかにお腹が痛い、朝起きるのが遅くなってきたなどのたくさんのサインがあったと思います。当時はそのたくさんのサインを聞き逃してしまっていたのだなと思い返し、心が痛くなります。

「あの時こうしてあげればよかった」「あの時もっと話を聞いてあげればよかった」と悔やんでいても、当時には戻れませんし元気に笑顔で登校していた我が子が戻ってくるわけではありません。

今も悩みながら送る毎日を少しでも安心して明るく過ごせるよう日々試行錯誤していきたいと思います。

コメント